10月21日(月)
【午前5時30分起床】
兎にも角にも眠い。
おまけに寝違えて首が痛い。
【早起きは三文の得】
というが、私は何の得をしたのかわからないまま出発の準備をした。
JR伊予三島駅まではタクシーで行こうと弊社のお得意様でもある
三島交通 さんに来ていただいた。
私は着く直前に料金メーターが上がらないことだけを祈った。
これは銭金の問題ではない。
メンタル的な問題だ。
そして無事にJR伊予三島駅に到着すると元四国中央商工会議所青年部(YEG)の岩本大先輩にばったり遭遇!
早起きの得がここでキター (*_*)
しかも三文どころじゃない。
少なく見積もっても五文ぐらいは得をした感があった(笑)
出発の朝からなんて幸先の良いスタートなんだ!
と、思いながら鹿児島に向けて出発!
伊予三島駅から岡山駅へ
さらに岡山から新幹線(さくら545号)で鹿児島へ
そしてあっという間に鹿児島中央駅に到着。
普段から運動不足の私は軽く息を切らしながら階段を上がり駅を出た。
『あっっつッ!』
さすが南国という感じだ。(気温27℃)
そして軽く汗をかき、軽い息切れと少しの加齢臭を放ちながら私はバス停に向かった。
ん?
靴底に違和感が。。。
あまり気にせず歩いていたのだが立ち止まってよく路面を見てみると何かザラザラしたものが。 。。
なんだコレ?
砂?
いや違う。
そのザラザラの正体は桜島の火山灰だった。
気にして周りをよく見ると道路の側面には火山灰の吹き溜まりがたくさんあった。
そんな初めて見る風景に戸惑いながら向かった先は
薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園がある
千巌園(磯庭園)
私は控えめな日本人なので
素晴らしい! の一言。
私がもしワイルドな米国人なら
Wonderful view!!
とか叫びながらオーバーアクション気味に身振り手振りをしながら走り回っていただろう。
そして雄大な桜島を見ながら昼食をとり、次に向かった先は
【知覧特攻平和会館】
ここでは太平洋戦争(大東亜戦争)の沖縄戦で飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影や遺品が数多く展示されていました。
私は爆弾を抱え、片道分の燃料しか入っていない飛行機に乗り、明日死ぬとわかりながらも飛び立った数人の飛行兵が綴った最後の手紙を読んだ。
間違いなく明日にはこの世にいない。。。
死を覚悟しての手紙。。。
飛行兵の多くが17才から23才ぐらいの少年だった。
結婚して子供がいる少年もいた。
達筆で書かれたその手紙には両親に向けての感謝の言葉や、残された妻や子に向けての謝罪の言葉がびっしりと書かれていた。
本当は怖くて怖くてたまらなかったことだろう。。。
家族に会いたかっただろう。。。
子供の成長を近くで見たかっただろう。。。
私はボロボロ泣いた。
私の隣の人も泣いていた。
その手紙を読んだほとんどの人が泣いていた。
国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら命を落としたこの勇敢な少年飛行兵や戦争で犠牲になったたくさんの人たちの上に私たちは生きている。
だからこそ笑うことも泣くこともできる。
心の底から敬意を払いたい。
そして程よくお腹が減ったあたりでホテルに着いた。
【指宿海上ホテル】
少し時間があったので、ホテル内を散策していたら珍しいものを発見した。
【砂風呂】
よし!入ってみよう! ※砂風呂初体験
職場ではあまり出さないチャレンジ精神が爆発。。。
いやいやいやいやいや。。。。。。。
砂風呂で汗をかいた後に飲むビールのうまさは半端ないことに気付いた。
またひとつ人生の経験値と痛風へのリスクが増えた。
気持ちよく酔ったところで就寝ナリ。。。